普遍性 CITROEN BX 19 Break

考えてみれば、もう25年ほど同じシトロエンBXブレークに乗り続けていた。この二年余り車庫で惰眠させてしまいましたが、もう少しで走行距離は27万キロに達します。
ある時、月まで走ろうと思いたち、ガムシャラに走行距離を伸ばすように走る訳でもなく、普通に距離を伸ばしていった。本州の上の方から、宇部・下関までの間を走り。九州は一度、四国は何度も走った。北陸には数え切れないほど詣でている。往復1100キロの福井への日帰りドライブを、このシトロエンで何度行っただろうか。
「月まで届け」の思惑を継いでくれる人が現れ、彼にシトロエンBXブレークを委ねることにしました。昔、写真の授業を受け持っていた頃、彼はその学校に入ってきて真剣に写真と向き合っていました。今では、仕事の一部を彼が引き継いでくれている、浜松で代々写真を生業にしている中津川君。

随分昔、デザインの仕事を始めた頃。ある討論会で壇上に上がることになりました。当時、連続して色々なデザイン賞をいただき、どうも同業の司会者から疎ましがられていたようです。デザイン賞やGマークなどは、本当はメーカーが受賞するんですね。デザイナーが個人でいただく訳ではないのです。そして討論会が始まり真っ先に、デザインの普遍性の有無について聞かれました。難しい質問。普遍性のことは考えていなかった。答えられないでいると、次の質問に移り、1時間半の討論会も終わり、最後にまたデザインの普遍性の有無を問われました。同じ建物の中で、司会者もデザイン会社を運営していました。

少しの間その問題を考えていました。それは、デザインそのものを考えるのではなく「人の心に普遍性はあるのか?」と考える方が正解への近道だと思い、これが自分が出した答えでした。デザインという行為やその結果ではなく、使う人の心の問題だと思い、自分のフラつく心を思った訳です。

久しぶりに、シトロエンBXを運転しました。埼玉のBX主治医アサヌマ・オートワークスさんまでの遠足。なんと25年近くお世話になっていたんですね。で、彼の顔を思い出しながら、惰眠の間、エンジンをかけてシトロエンの独自構造である油圧システムの機能維持のため、足回りの屈伸運動を定期的に行なってきました。二年ぶりに仮ナンバーを取り、路上に出ましたが、「ああコレだよ、安心するよ」と思える乗り心地は健全で、優しく体を迎え包んでくれます。ずっと好きだったこの感覚は、まだ乗り続けていたいと思わせる優しい感じ。他の車ではまず味わえない。好きだったランチア・テーマでも猫脚ジャガーXJ6でも味わえない、シトロエン的深い安心感。チープな造りなのにね。今、乗っているアルファを同じ状態に置いたら、こんな簡単に目覚めただろうか。シトロエンBXには、人生を共に歩んだ相棒という感じがあり、人生をコーナリングするときも、いつだって見届けてもらっていました。

シトロエンは獣道になっていました。埃を大量に被ったBXは、ちょうどボンネットとフロントグラスが良い塩梅で、上に登るスロープになってました。それに気がついたのは、フロントグラスに記された、点々と残る小さな足跡を発見した時。確か黒猫だったかな。昔餌をあげていた子かもしれない。道より高くなった荒れた庭は、格好の遊び場だったのだろう。人が住まない家の劣化は激しい。
実は、このシトロエンBXは3台目。2台目はアサヌマ・オートワークスでドナーになり、最初のBXブレークは、関越高速の料金所で順番待ちの時、100キロほどのスピードで追突されて、ボディーがくの字になった。よく助かったと警察が驚いてました。BXの構造が一家三人の命を救ってくれたんですね。初代のBXから、35年以上だろうか。これまでの人生の大半は、いつも隣にシトロエンBXブレークがいてくれた。

あっ、この感覚は自分にとっての普遍性だ! なんて思い、前記の討論会を久しぶりに思い出しました。当時難しいと感じた設問だった「デザインの普遍性」。シトロエンBXには、デザインの普遍性が確かにあり、何年乗っても、美を感じ、そして走りたくなる。とにかくドライバーに優しいんだよね。
そういえば、もう94歳になる母親をBXに乗せた時、なんであんたがこのクルマに乗るのかよく分かると言うのです。他の車と全然違うと。息子のことを初めて理解した言葉に驚きました。あまり親子の仲が良くなかったですし、もう歳ですから、シトロエンの良さを理解した母親に非常に驚きました。
使うのが難しい昔のMライカや、今も仕事で使い続けるハッセルブラッドにも存在する、なにか近い感覚。普遍性の設問解答には、時間がかかったな。理屈で考えるのではなく、心の体験が必要だったんですね。この長い時間を通り抜けて初めて本当に共感できるデザインがBXでした。感受性の貧しさもあり、時間がかかりました。時代を超えて生き続ける普遍的デザインは確かにあるし、これまで一つでも自分に作りえただろうか。
いつも聴いている、PhilipsやTelefunken、それにSiemensやRullitにも同じような普遍性を強く感じます。昔の人は本当に分かっていたんだなあ・・・