近所の大きな公園の中に建つ美術館は、昔から良い企画展が多く、遠くから新幹線で友人が来ていたりします。ですが、私はあまり出席率が良くありません。今回NHKでチラ見した、多くのスピーカーを設置した展覧会?はとても魅力的に見え、これは是非体験してみたいと思い、新宿オペラシティーにあるインターコミュニケーションセンターに出向きました。一番興味を持った、無響室でのインスタレーションは、すでにチケットが売り切れており、残念ながら体験できませんでした。実は、これを体験してみたかったのですが。
音楽を聴くとき、目を瞑りますか? ワタシは思わず目を閉じてしまいます。なぜなら、目から入る刺激は耳からの刺激より大きく感じられるからです。音楽を楽しむ時に、目からの刺激がノイズにも思えてしまいます。
例えば、高級なオーディオ・システムが見えると、きっと良い音だろうと思いますし、その逆もあります。オーデイオにデザインを求めるのは当然のことだと考えています。メーカーもデザインに力を注ぐ感がありますし、自分もデザインには多いに拘りを持っています。目からの刺激は、言語回路を経由する場合が結構多く、これがノイズと感じる原因です。音のノイズとは違い、心のノイズです。邪念と言うかもしれません。しかし聴覚は、言語回路を通過する前に直接感情に飛び込んできます。言語不要ということでしょうか。歌詞は?と言う声もあるでしょうが。皮膚で感じる音もあったりして、やはり視覚とは隔たりがあります。
今回体感しに行ったインスタレーションは、ほぼ光が無い空間で展開されています。最初に入った大きなサイズの会場では、中央に柔らかいウレタンクッションで、山が形成されています。鑑賞者は、暗闇の中でそこに登り、座ったり寝たりしながら、音のシャワーを浴びることになります。かなり多い数のスピーカーが主に天井に設置され、ウレタン山の中からも数は減りますが、音を感んじます。体の角度が不安定で、三半規管が機能を失い同時に心が不安定に。そして聴覚が覚醒、と言う風になればクリエーターの思う壺。数が多い天井のスピーカーは小さいサイズでしょう。しかし、低域までしっかり出ています。さすがウーファーは大きなサイズかもしれませんが、想像です。ウーファーは床置きですね。(上のイメージが山の展示。撮影禁止なので下手な手描きです。)
この数のスピーカーを制御するのは、一体どんなシステムなんだろうか。意外に中域がプアーな感じも。
インスタレーションは、暗闇で視覚を奪い聴覚だけで何を感じるかがテーマになります。・・多分。
いつもと90度回転した方向からの、しかもかなり広い面積の音は、流れを伴いそれに閃光も加わります。でもウレタン山で寝ちゃうと、音の方向は普通のオーデイオと同じになっちゃう。自分から音までの距離感は均等でした。
流れる音には、耳が辛くなるキーンという音が多く含まれ、自然界の音がベースですが、あまり長い間その空間にいることができませんでした。そして何故か流れるサウンドに魅力が感じられず、少し残念な思いが残ります。
もしIMAXがこの位置関係になったらどうだろう、などと思ってしまう。オーデイオでよく聴いている川の流れや雨の音は、とても気持ち良いのにな・・。そんなことを求めてはダメなのか、このインスタレーションは。
オーディオ的な考え方を捨てて、裸の心で感じないとね・・
次の部屋はオープンな空間になっています。でもやはり暗い空間です。床にもスピーカーが多数配置してあるので機器破損防止で、床は目視できる状態です。スピーカーは床と二方向の壁と、少しだけ天井にスピーカーがあります。壁のスピーカーや床のスピーカーの配線が印象的で、これは面白い。なんだか有機的な感じですね。しかし、これは視覚的な印象です。意にそぐわない感想かも・・・
この展示も、音の印象が少なく、もしかしたら視覚が邪魔をしているかも。こちらも少し残念なインスタレーションでした。やはり無響室で展開される「大きな耳をもったキツネ」がこのインスタレーションのキモだったようで、これを体験できなかったのは残念なことでした。独特な無響室の空間は、圧迫感が強いですが、不思議と音が流れると印象が変化します。聴覚をテーマにアート表現を行うのは、なかなか難しいテーマだと感じます。
下は、無響室の中をモニターするカメラが見ている室内です。良く見かける無響室の構造で、壁と天井が立方体の凹凸で構成されています。写真が分かりにくくてすみません。自分も大きなキツネの耳になって、この中に入りたかった・・・。これを体験しないで感想書いてはダメかもでした。
現 わ れ る 場
消 滅 す る 像
evala
2024年12月14日 – 2025年3月9日
東京オペラシティアートギャラリー