1950年代に西ドイツで製造
13歳の夏休み、祖父の家の居間で、わたしは贅沢な国産ステレオから流れる音楽に酔っていました。
将来はギターリストになるぞと決めた、暑い夏休み。
数年前、スタジオがある神戸まで行き、開発中のスピーカーの音を聴きながら、じつはその音を思い出していました。完全なフラットを目指し、できる限り理想に近いユニットやネットワーク部品を使い、繊細な耳と高精度な測定で作り上げた音は、現代的な豊かな音でした。木工も精緻な仕事をスッキリこなし、このスッキリというのが大変なんですが、仕上がりは上々でした。しかし帰りの新幹線では、13歳の心をとらえた音の世界をiPhone を頼りに、半世紀の時間を遡ろうとしてました。
バウハウスを感じるデザイン
東京に帰り、さっそくヴィンテージスピーカーを検索。いつも見ているPinterestで美しいグリーン色のユニットを発見するには、そう時間はかかりませんでした。ユニットはこれに決め、ヤフオクをブラブラし、これぞをポチッ。 お小遣いでなんとか買えるお値段のユニットは、届いた時は画面で見たより少し彩度が低く、でも時代が作ったさめたグリーン色は、むしろ今の方が良いかもと思えるユニットでした。 何も知らずに購入したユニット。SABAがメーカーの名前でした。届いてすぐ裸で聴いた音は、低音がなく、しかしシャープに心に突き刺さってくる音でした。実は、ホンワカした柔らかい音を求めて購入したヴィンテージSPでしたが、ベールがかからない心に届く繊細な音にビックリ。これは先人たちが現代に残してくれた貴重な遺産 だと知りました。しかし、裸のままでは、ちと低域不足が寂しい。 じゃ平面バッフルでも作ってみようか。それが、新しい遊びの始まりでした。
SABAは、大きすぎないマグネットと簡潔なバランスのシャーシで、とてもモダンなデザインです。他の形状のマグネットもありますが、このDEWのマグネットサイズは秀逸。 マグネットが変わっても、機種名に変化は無いようです。グリーン色が有名なコーンは、周囲のエッジ部分にかろうじて昔のグリーン色の面影が残っています。意外に派手な色。やはり今の方が好きな色です。コーンの表面はプレーンで、裏面にはプレスで繊細な模様が入ります。山形のエッジ部分は、セオリー通り厚さを薄くしてコーンが動きやすくなっています。この厚さの調整は、金型で行っているんでしょうね。精度が必要です。ぜひ金型を見てみたいものです。そして、マイナスのネジ頭がカワイイ。布製の小さな茶色いコルゲーション・ダンパーをこのネジで固定しています。ダストキャップの裏側は小さなエアドームになっていて、コーンが過度に動くのをコントロールしているそうです。シャーシは鉄板のプレス成形で0.3mmほどの厚さで仕上がっています。機種銘板はスタンブですね。錦糸線の固定には小さな金属マウントを用意していて、このナイーブな接着部分の製造を安定させています。このコーンは、一般の8inchより若干大きい感じがします。細かいところを気にすると、下写真のところにブッシュが入っていて、センターには板を曲げてパイプを作りそれがインサートされています。ロックですね。ガスケットとの段差調整ですが、これがついてないユニットを多く見かけます。ないと不便です。なにか名称があったハズですが?
このユニットには生命感が宿っています。デザイナー・設計者の意思を、その形状と音で感じさせてくれます。飽きたら捨てるようなモノではありません。一生お付き合いして、人生を積み上げていけるスピーカーです。
オーディオ師匠相島さんよりお借りした測定器でさっそく測定。高域はよく出ていましたので低域の出方をニアフィールドで測定。ユニットの低域特性を知るには都合が良い方法です。おそらく、もっと高域は出ているハズです。2kHzより上のグラフの部分が測定できていないエリアです。もちろん、このグラフのままに音が聴けるわけではありませんが参考になります。低域は、少し盛り上がっています。これについてはブログ「我流ーオーディオ・他」のなかで触れられています。(http://ernest8021.livedoor.blog/archives/2020-02.html)
このスピーカーは1950年代後半の製造のようです。主にラジオなどに搭載されたり、電波が入りやすい窓際などに置いたラジオから延長したケーブルで、部屋の良い位置に置いた、後面解放箱に入っていたり、そのように使用されていたと考えられます。日本では、ロカビリーが流行り、スバル360が走り出し、東京タワーが建設を始めた頃に、このデザインでスピーカーを作れる力には驚きます。装飾がなくクリーンな感じには、バウハウスを感じます。戦前から優秀なユニットを作っていた実力が有ってこそでしょう。西ドイツの力を感じます。
SABAはVWと同じコンセプトで第二次世界大戦の前に、可愛い「国民ラジオ/Volksempfanger」を製造していた今は無き企業です。この頃のラジオは今のPCと同じように先端産業であり生活必需品であり、ベルリン・ フィルのライブ放送が、FMに乗って、今のように街中に流れていたかも知れません。彼の地のクラシック音楽の浸透度が分かります。クラシックが誕生した、まさにその現場で産まれたスピーカーです。オープン・バッフルで聴くSABAの「Nemanja Radulovic のバッハ」はなんとも気持ち良い。 ロックンローラーのようなラドゥロヴィッチのCDジャケットも、まあ素晴らしいですね。カッコイイな。