TESLAの事情

前回「真空管で味変」に登場した中根さん。いろいろな意味でキーマンなのですが、昔作った真空管アンプAZIS S2に興味を持ちTESLA真空管の情報に達したのは、彼の「調べる」能力です。その能力は、実はさらに深化してチェコの歴史や地政学にまで入り込みます。彼は、eBayで真空管を探すのですが、そこでチェコに住むコレクターでありマニアでもあるルーカスさんとコンタクトします。その出会いが実に興味深い話へと展開するので、ここに記することにしました。

オープンバッフルでTESLA 633スピーカーのパフォーマンスに驚きを持っていた彼の好奇心は止まりません。AZIS S2で使えるTESLAの真空管に辿りついた彼は、TESLAのユニットをTESLAの管で聴いてみたいと言い出したのです。
早速彼は、eBayでTESLA管を見つけ、出品者とコンタクトする中で「真空管のパッケージも欲しい」というおねだりまでしちゃう。すると「工業用グレードの真空管の一般向け販売は制限され、工場や軍はまとめた梱包で流通。たまに小売用の箱が入手できますが、かなり稀です」とすぐに返事が返ってきたようです。デザイナーである彼は、TESLAのオリジナルデザインのパッケージが欲しかったんですね。TELEFUNKENのパッケージと比べると、随分モダンなデザイン。その辺りから彼の好奇心が疼き始めます.


 昔使っていたフィルムと同じサイズ感の真空管紙箱。 TESLAロゴの下に白抜で真空管が見える。

以下は、TESLA真空管の出品者、ルーカスさんとのやり取りで見えてきたヨーロッパの戦前・戦後の興味深いストーリーです。

まず中根さんは、プラハの中心地にある「スヴェトゾール・パサージュ」に、TESLA Radioと書かれた大きなステンドグラスが現存することを知らされます。というのも、ルーカスさんのアイコン写真がこのステンドグラスだったからです。スヴェトゾール・パサージュという場所は、1947年に作られた美しいアーケード街で、真空管製造の伝統ゆかりの地だそうです。このステンドグラスの存在こそが、後にアメリカの電気自動車メーカー・テスラ社がチェコ国内で商標登録しようとした際、却下され和解を余儀なくされた「元祖の証拠」なのです。

 

https://www.reddit.com/r/europe/comments/1hzvcwy/stained_glass_window_in_the_světozor_passage_in/?tl=ja

こちらから拝借

 

このステンドグラスは1949年、TESLAを国を挙げて一大プロモーション展開していた時代の作品で、モダニズムの画家兼グラフィックアーティストによってデザインされた広告です。ヨーロッパの大戦が終わってすぐに作られました。ステンドグラスというのが、教会的だしヨーロッパ文化を感じます。それに戦後に作られたという時代的な意味もあります。きっと、ボヘミア・ガラスで作られたこの美しいステンドグラスには誇りと光が込められたのでしょう。ルーカスさんも「映画館やチャイニーズレストラン、おしゃれなスイーツ、アイスクリーム屋もあるけれど、間違いなく最大の見所です」と語ります。

というのもこの場所は「Elektra」という電球を作っていた会社が存在していた建物で、戦前、オランダのフィリップス社は電球の製造販売に成功し、現地生産を行うためチェコの電球工場「Elektra」を買収します。チェコはヨーロッパ屈指の工業国でもあり、WRCを走っていたシュコダの創業はフォードよりも古いのです(はじめは自転車屋ですが、、、)。そもそもが電球工場であること、ボヘミア・ガラスを自在に扱える手先が器用な職人がいること、そして資源があること。フィリップス社は、中央ヨーロッパへの事業拡大においてチェコスロバキアを重要なハブ拠点と考えたのでしょう。これがチェコスロバキアにオランダ・フィリップス社の工場がある理由です。

その後、第二次世界大戦が勃発し、ナチス・ドイツは軍需製造のため、フィリップス社の最先端技術が詰め込まれたこの工場を軍事占領しました。しかし、本国オランダ・アイントホーフェンにあったマザー工場は、海を挟んだイギリス軍の大規模空爆で破壊されてしまいます。一方、ドイツの東側に位置し、ベルリンから南下すればより地理的に優位な(連合軍の空爆が届きにくい)チェコの工場は、ナチスの絶対的な軍需拠点となりました。ナチス・ドイツは、自国ブランドである「TELEFUNKEN」や「ローレンツ」に最新のレーダーや通信兵器を作らせるため、フィリップスの優れた設備とチェコの職人の労働力を集約し、コントロールしたのです。

ご存知の通り、真空管は当時の最先端産業であり、世界大戦における重要な軍事技術でした。1976年にソ連の戦闘機MiG-25が日本に亡命飛来した時、当時の最新鋭機に未だ真空管が使われていると驚きを持って報じられましたが、それほど信頼性の高い最先端技術を国が放置するはずはありません。

戦争が終わると、チェコスロバキア政府は自国内に残された外国企業の工場や資産をすべて没収し、国営化します。この時、破壊されずに無傷で残ったフィリップスの電球・ラジオ工場のクオリティと、ドイツのTELEFUNKENやLorenzが持ち込んだ最新の軍事製造装置・ノウハウ。これらすべてを一つに統合して作られた巨大な国営電子総合企業、それこそが「TESLA」なのです。今で言えば、TSMCの工場や先端産業を国が丸ごと手に入れたようなものかもしれません。

ルーカスさんの話をでは・・・・・・
「この地域には真空管製造の伝統があったため、TESLAの真空管は非常に優れた品質を誇っていました。特に古いモデルが優れているのは、そのコンツェルン自体が、フィリップスやローレンツなどの企業から強制的に国有化された、定評のある複数の真空管製造工場によって構成されていたからです。つまり、本質的には、国家がこの業界屈指の企業からノウハウ、労働力、そして工場そのものを奪い取ったのです」と。なかなか日本では知り得ないリアルな歴史認識を聞くことができたのです。

エジソンが発明した電球をバルブ(弁)に改造したフレミングの二極管。その二電極の間にもう一枚の極性を持つグリッドを挟むことで信号を増幅できること=「オーディオン(Audion)」を発見したリー・ド・フォレスト。この「三極管」のマスターピースはアメリカのウエスタン・エレクトリック(WE)がド・フォレストの特許を格安で買い取り1912年に製品化、後に伝説の「300B」へと展開します。

一方、同じ時期にオーストリアのロベルト・フォン・リーベンが「電気の信号を増幅するリーベン管」を1908年に特許申請。1912年にドイツのAEG、シーメンスなどが連合を組み、この特許を買い取って作った合弁会社が「TELEFUNKEN」です。その後、ヨーロッパではフィリップスの研究により、三極管の限界を超えたもう一つの双璧をなす五極管「EL34」へと発展していきます。

政治的な事情もありますが、1940年代から1960年代にかけての真空管機器は、どこのものであれ大体は素晴らしい性能を持っているようです。当時、ドイツやオーストリア、日本、アメリカ、チェコスロバキア、それ以外の国でも素晴らしい機器や部品が製造されていました。ソリッドステート技術でも、情熱と高品位な部品、それに優れた職人技が込められていれば素晴らしい音が出ます。日本のオーディオの大いなる発展期は70年代ごろからですが、良い製品がたくさん残っていますし、今でも大いに楽しむことができます。しかし、現代になっても真空管の不思議なヴィンテージ・マジックは、いまだに人を魅了します。

ルーカスさんから届いた1965年の真空管は、とてもコンディションのいいものでした。「当時のオリジナルではないけれど」と、小売用の箱も同梱されていました。それが、前回のブログのトップの写真です。

ここで中根さん、パッケージに描かれたTESLAのロゴマークに目が留まります。Philipsとの深い関係を知った今、このロゴマークはPhilipsの伝統的な盾型ロゴをリスペクトし、ベースにしているのだと想像したわけです。確かに並べるとそっくりですね。フィリップスは夜空に漂う電波と星、TESLAは電子ビームの軌跡と電波の広がりを結びつけているんですね。

実際に、TESLA真空管(ECC802S)と、K先生のTELEFUNKEN真空管の音を聴き比べると、かなり似ていることに気づきます。その理由が、この歴史の裏側で見事につながって見えました。欧州の複雑な根っこで深く繋がる混血技術は、今聴いても本当に魅力的です。

実は、ここに書き切れない話が沢山あります。非常に興味深い話ばかりで、歴史の面白さを味わえますが、情報量が多く今回は、速足のダイジェスト版にしました。いずれその話も書いていこうと思います。

 

ポッと時間ができた時、このアルバムをよく聴いています。美しい曲ばかりで心のスキマを埋めてくれます。

木住野桂子/KISHINO Yoshiko 「Praha」