次期無帰還アンプをデザイン vol.1

   試作した脚とパネルを仮組み

相島師匠からのお誘いで次のアンプのデザインを始めています。以前製作のヴィンテージ・スピーカーにマッチングさせたアンプの音質に不満はありません。アルニコでも励磁でも、豊かな音で音楽を楽しませてくれます。また、小型のスピーカーとも、とても相性が良いです。国産高級アンプからの乗り換えも出てきております。しかし、ただ一点だけ少し面倒に思うことがあります。RCAコネクタが1ラインしかないので、今朝もネットワークプレーヤーからiPhoneに接続をやり変えています。たまにはCDも聴きたいし。この差し替えの作業を儀式として楽しめれば良いのですが、どうも面倒だなと思っていました。未接続の端子が床でそのままになるのも、気になります。その辺りの悩みを一気に解決できる、自分にとって理想のアンプのデザインを開始しました。随分前ですが、RCAコネクタを並べてプリアンプのようなデザインのアンプを考えていたことがあります。そのデザインイメージを、相島師匠にお渡しして忘却していましたが、それを作ろうという話になりました。

いざイメージ図面にとりかかると、いろいろなパーツを決めていかないと、ということになります。悩みが大きいのが、素材です。今回は、木をメインに使いたいと思っています。前の無帰還アンプは、アルミの板金ですが正面に木を貼れるようにデザインしています。相島師匠からは、鉄のケースは音が悪くなるという教えがあります。アルミはOK。できる限り鉄を使わずなので木を採用。どんな木を選択するかでイメージが大きく変わってきます。初期のイメージはこんな感じで左側の絵です。右はその次のイメージです。


木は、当然のことながら植物であり、生命をもった「いきもの」でした。生命の証はいたるところに見えてきます。よく木が動くと表現されますが、乾燥していても、実際になかなか安定せずソリがでたり割れたりと繊細な素材です。製材した後でも、暴れまくり、よじれる木も普通にあります。千四百年も維持できている法隆寺は木造建築です。コンクリート製の中銀カプセルタワービルは、竣工から50年で、昨年、取壊わされました。たった50年で建築として使えなくなる。残念です。それにしても短命です。現代日本人の平均寿命にも達していません。大手町にあった福井藩の跡地に建っていた逓信ビルも取り壊されました。日本で文化を残すことがいかに難しいか、思い知ります。パリのような佇まいは日本では、なかなか残っていけません。「ジミ・ヘンドリクス」などがデビューした「フィルモアイースト」があったビルは、マンハッタンに残っていて、その二階に住む写真家であり彫刻家の友人の家に何度か泊めてもらっています。マンハッタンのダウンタウン、とても良い雰囲気です。ですが日本はピカピカな鏡のような建物ばかり。そして、ウクライナの破壊はとても残念なことです。

あらためて、引っ張り出した木を眺めていると、その表情にとても惹かれます。私は、この木からエネルギーをもらってデザインをしています。木は個性的な美を持っていて、それに寄りかかるようにデザインをしてきました。そして、最後にたどり着いたデザインがこれです。材料を集め板金の試作などから作り始めます。

今回は、木で脚の部品を作り始めていますが、これが難物です。治具も作り、万全の体制だったはずでしたが、意外にも加工がうまく進みません。最初の試作では、何も問題が出ず、思い通りの出来でしたが、木の補強のため「木固めエース」という含浸液で割れと歪みを抑えたのですが、必要以上に硬くなり過ぎました。治具の押さえもうまくなく、何度か改造して結局こんな状態で加工を進めています。リニアスケールがついたミーリングで切削していますが、治具強度の限界を超えた加工になり、切削中に脚材のウエンジが治具の中で浮き上がり切削位置が狂います。ツールの回転方向と力の加わる方向を考えながら、切削の方向を工夫しています。いつになったら完成できるだろうか。

  できている試作部品で仮組み。